マイケル・ジョーダン

マイケル・ジョーダンの45番時代は黒歴史じゃない【1度目の復帰】

キャリアで3度の引退&2度の復帰をしている、規格外の経歴を持つマイケル・ジョーダン。

1992-93シーズンで1度目の3連覇を達成した後にNBAを引退し、MLBヘ挑戦していました。

その後94-95シーズンに45番のジャージを着て帰ってきた頃のジョーダンは、なんとなく黒歴史のように扱われがち。

1994-95シーズンに復帰した45番のマイケル・ジョーダン

1993年に引退を表明した時点で、ジョーダンは

  • シーズンMVP3回
  • 得点王7回
  • NBAチャンピオン3回
  • ファイナルMVP3回
  • オールスター出場9回

などの圧倒的な経歴を持っていました。今挙げたのは一部に過ぎません。

これ以降NBAでプレーすることがなかったとしても、ジョーダンは伝説のプレイヤーとして語り継がれていたはず。

 

そんな伝説の選手が94-95シーズンにNBA復帰を果たしたと。

ジョーダンがコートに戻ってきたのは、1995年の3月19日。

この時点でシカゴ・ブルズは既に、レギュラーシーズン65試合を消化していました。

 

ジョーダンの復帰1戦目の相手は、同じく歴史に名を残したSGである、レジー・ミラー率いるインディアナ・ペイサーズ。

バスケの神は45番のジャージを身に纏い、コートに帰ってきました。

マイケル・ジョーダンの背番号が持つ意味

そもそもマイケル・ジョーダンが23番を選んだのは、かつて45番を着てプレーしていた兄の半分以上でも上手くなりたい、という想いがあってのことでした。

これは結構有名な話ですね。

思いのほか謙虚な理由でこの番号を選んでいたジョーダンは結果的に、世界中のバスケ選手全ての名誉を足しあわせてもまだ及ばないほどの地位を築き上げるわけなんですが。

 

MLB挑戦時代のジョーダンの背番号は45番。

その後のNBA復帰でも、この45番を引き続き着用することに。

94-95レギュラーシーズンでのジョーダン

3月中旬から復帰したジョーダンがこの年のレギュラーシーズンでプレーしたのは17試合です。

当時32歳のジョーダンのスタッツがこちら。

39.9分出場 26.9得点 6.9リバウンド 5.3アシスト 1.8スティール FG41.1%

ややブランクを感じさせるのは、FG成功率の低さですかね。

17試合だけの出場ではありますが、このFG%はウィザーズ時代も含めてキャリア最低の数字です。

とは言っても、復帰前には疑問視されていたジョーダンの実力を証明するには十分なスタッツだったはず。

復帰5戦目にはシーズンハイの『55得点』を叩き出し、変わらぬ得点能力を見せつけています。

変幻自在のジャンパーは健在。

シーズン成績34勝31敗だったブルズは、ジョーダン復帰後から14勝3敗の高勝率を記録しました。

ブルズは最終的に47勝35敗のイースタンカンファレンス5位でプレーオフに進出。

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マイケル・ジョーダン2シーズンぶりのプレーオフ

イースタン5位でのプレーオフ進出だったとはいえ、ジョーダン復帰後の勝率を考えれば、当時のブルズは間違いなく優勝を狙えるチーム。

ブルズは、初戦のホーネッツ戦を3勝1敗(当時のプレーオフ1回戦は3勝先取制)で危なげなく勝ち上がりました。

 

ジョーダンはシリーズ初戦で48得点の大活躍。

マイケル・ジョーダンvsオーランド・マジック

本題はここからですね。

セミファイナルに進出したブルズの相手は、レギュラーシーズン成績イースト1位のオーランド・マジック

若かりしシャキール・オニールとアンファニー・ハーダウェイを擁するニュージェネレーションがジョーダンに立ちはだかりました。

ちなみに、当時のマジックにはジョーダンと共にブルズで3連覇を達成したホーレス・グラントもスタメンフォーワードとして在籍。

 

シリーズ初戦でジョーダンはFG8/22の低確率、さらにターンオーバー8つも犯し、らしくないパフォーマンスとなってしまいました。ブルズも敗戦。

そしてこれが、ジョーダンが45番を着用する最後の試合に。

心機一転を図ることをチーム側が提案し、以降ジョーダンは23番のジャージに戻ることとなりました。

シーズン途中での背番号変更はリーグで認められていなかったため罰金を受けることになりましたが、結果ジョーダンは第2戦で38得点を記録してブルズを勝利に導きました。

続く第3戦では40得点の活躍。

しかしブルズは敗戦。

その後ブルズが1勝を返してシリーズを2勝2敗としますが、第5戦はマジックの勝利。

ジョーダンは39得点の活躍も及ばず。

そしてこの後のゲーム6のハイライトが、ジョーダンのドキュメンタリー等でよく扱われていますね。

有名なこの試合は、ラスト3分半からの場面をノーカットで見ると緊迫感があります。

エアーボール、ファールでのフリースロー献上、ラスト20秒での致命的なターンオーバー。

ジョーダンはトータルで6つのターンオーバーを記録しました。

このゲーム6ラスト3分半でのパフォーマンスによって、ジョーダンの94-95シーズン全体が黒歴史扱いを受けている気がしますね。

確かに、勝負所で本領発揮をしてこそのマイケル・ジョーダンだったので、この試合でのパフォーマンスにガッカリするファンがたくさんいたことは頷けます。

シーズン全体を見ればエリートレベル

プレーオフ合計10試合をプレーした1994-95シーズンのマイケル・ジョーダン。

プレーオフスタッツは以下の通り。

31.0得点 6.5リバウンド 4.5アシスト 2.3スティール 4.1ターンオーバー FG48.4% 3P36.7% FT81.0%

ドキュメンタリーだけを見て「ジョーダンの復帰1年目は悲惨だった」と印象付いている人からすれば、予想以上のエリートスタッツになっているんじゃないですかね。

勝負強さを発揮できなかったマジック戦は確かに残念でしたが、94-95シーズンのジョーダンのパフォーマンスは、全体を通してみれば決して価値を下げるようなものではありませんでした。

 

このシーズンの酷評は、優勝以外は全て失敗扱いされるジョーダンという選手の期待値の高さを物語っているとも言えますね。

 

このシーズンのジョーダンがNBAトークの中でぞんざいな扱いを受けていることが多いと思えたので、当時のジョーダンの価値をアピールしてみました。