マヌ・ジノビリ

【引退発表】アルゼンチンの英雄・マヌジノビリの16年間を振り返る

マヌ・ジノビリが現役引退を正式に発表しました。

来季からはジノビリのプレーがもう見れません。

グレッグ・ポポビッチとの談義の結果、16年のNBA選手生活に別れを告げることを選択。

アルゼンチンの英雄の功績

アルゼンチンの英雄は、間違いなくNBA界でも誰もが認める存在でした。

これまでの栄冠は、4回のNBAチャンピオン、オールスター2回出場、オールルーキー2ndチーム、オールNBA3rdチーム2回選出、6thマン賞など。

デビュー戦

ジノビリのデビュー戦は2002年10月29日のレイカーズ戦です。

当時から、変態プレーの片鱗を見せつけています。というか、この時点でたいそうな変態です。

この試合の時点では異次元のカーストにいたコービー・ブライアントも、ジノビリの引退に際してリスペクト溢れるメッセージを送っています。

「君は本当のチャンピオンだ。親友であり、僕がこれまでマッチアップした中で最高の選手の一人でもある。引退後の人生を楽しんでくれ、兄弟。」

画像は国際試合の時のものですね。文中の”hermano” は、ジノビリの母国語であるスペイン語で「兄弟」を意味しています。

ついにスパーズの三銃士がいなくなった

1997年4月20日。

これが、ダンカン・パーカー・ジノビリの3人全員がスパーズのロスターに登録されていない最後の日付だったとのこと。

約20年に渡る、一つの歴史が終わりました。

僕がNBAを見始めた2004-05シーズンにもこの三銃士が躍動していて、この年スパーズが2年ぶりの優勝を果たしていました。

当時ナッシュ率いるサンズを応援していた自分にとっては、このトリオは悪夢でしたね。

ナッシュvsジノビリのロン毛対決(双方に関して当時に限る)も、この時はジノビリに軍配が。

近年ではスキルフルなプレーで魅せていたジノビリですが、若い頃にはクイックネスも超一流でしたね。ディフェンスを割ってゴール下まで切り込んでいく姿が印象的でした。

キャリアハイの48得点も2005年のサンズ相手から奪っています。

2Q終わりのビハインドパスが変態すぎて震える…

コウモリハンター・ジノビリ

ジノビリの栄華をまとめたこの画像。

4つのトロフィー、オリンピックメダル。さらには、コウモリの勲章を授かっています。

そう、ジノビリは4つのチャンピオンリングだけでは飽き足らず、コウモリハンターの称号までも手中に収めているのです。

何度見てもジワジワくるこのシーン。

意外性のある動きはバスケでのプレーだけでなく、笛が止まっている時にも健在でした。

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アルゼンチン代表での活躍

バスケ選手としてのキャリアを終えるのであれば、NBAだけでなくジノビリの国際試合での活躍も語っておかなくては。

「アルゼンチン代表×ジノビリ」でまず僕が思い起こすのは、何と言ってもアテネ五輪でのチームUSAの撃破です。

ジノビリはこの試合で29得点を記録しています。

アメリカが敗れる瞬間までを収めた映像。

これは事件でしたね。

また、このオリンピック初戦で決めた劇的ブザービーターも有名です。

その後、アルゼンチンはこのアテネオリンピックで優勝を飾っています。

ジノビリは大会MVPを受賞。

NBA優勝・ユーロ優勝・オリンピック優勝の3つを経験した選手はジノビリを含めて歴史上2人しかいません。

メッシからもリスペクト

同じアルゼンチン代表の英雄といえば、サッカー界にはリオネル・メッシという神がいます。

そんなメッシからも、ジノビリへのリスペクト溢れるコメントが。

「ジャーナリストが”マヌはバスケ界のメッシだ”と言ってくれるのは誇らしいことだけど、実際 彼らは僕のことを”サッカー界のマヌ”と言うべきだね。」

Thank you manu

ジノビリの魅力はまだまだ語りつくせませんが、語りつくせないからこそジノビリはレジェンドなのです。

NBAでも国際大会でも、長きにわたってその名を馳せたジノビリが表舞台から去るのは、一つの文化が終わるような感じ。

僕としては敵キャラであることが多かったジノビリですが、奇想天外なプレーには大いに楽しませてもらいました。

僕らは、ジノビリの数々の変態プレーを忘れない。