20年間のキャリアの中で、数々の名誉を手にしてきたコービーですが、なにも「成功」ばかりが偉業ではありません。
1試合81得点
3Qで62得点
引退試合での60得点
など、コービーの偉大な記録をあげていけばキリがないですが、僕は「1試合で4本のエアーボール」も、大記録のうちの一つだと思っています。
これは、皮肉とかではなく。
若きコービーの素晴らしき黒歴史
1997年の5月12日(現地時間)、ウエスタンセミファイナルでレイカーズはユタジャズと対戦していました。
1勝3敗で迎えた第5戦。レイカーズにとっては負ければシーズン終了という大事なゲーム。
この当時18歳、ルーキーイヤーだったコービーは、試合終盤の大事な時間帯にプレータイムを与えられていました。
この年、プレーオフでのコービーの出場時間が14.8分だったことを考えると、ものすごい大抜擢です。
ロスターにはシャキール・オニール、エディ・ジョーンズ、ニック・バン・エクセルなど、豪華なメンバーがズラリ。
15-16シーズンまでレイカーズのHCを務めていたバイロン・スコットも、当時のレイカーズに在籍していました。このとき35歳。
この超重要な試合、しかもスター選手だらけの中で若かりしコービーはどんなプレーを見せたのか。
試合終盤のコービーをフィーチャーした映像がこちらです。
4Q残り約10秒から、オーバータイム終了までに4本のエアーボール。
およそ5分間のうちに、リングにかすりもしないシュートが4回です。18歳の若造が、先輩にパスをせずに。
この出来事は「エアボールパーティ」と言われ、コービーのドキュメンタリー映像などでも登場することが多いです。
これの何が凄いかって、コービーのメンタリティですよ。
- 負ければシーズンエンドの試合
- チーム最年少
- さっぱりシュートが入らない
という3拍子の中で、どうしてシュートを打ち続けられるのか。
おそらく、5分間で4本のエアーボールを記録したのは、NBAの歴史上コービーだけでしょう。
それは、普通の人間は最初の1,2本がエアーボールだった時点でシュートを打つのをやめるからです。
「10本全て外しても構わないさ。11本目を打ち、それもだめなら12本目を打つ」
と、自身のシュート観について語るコービー。これが、マンバメンタリティ。
シャキール・オニールは、ジャズ戦後のインタビューにて、
「シュートを打つ勇気を持っていたのはコービーだけだった」
と語っています。
屈辱を糧にしたコービー
コービーがコービーであった理由は、このジャズ戦後の行動にあると思います。
エアボールパーティーの後コービーは体育館に直行し、一日中シュート練習に没頭したそうです。
コービーのシーズンは、まだ終わっていなかった。その後のオフシーズンでも、コービーは猛練習に励みました。
翌98-99シーズンでは開幕戦でジャズと対戦し、見事にリベンジを達成。
最後のダンクは特に有名なやつですね。
1年目は7.9得点 1.9リバウンド 1.3アシストだったスタッツは、2年目には15.4得点 3.1リバウンド 2.5アシストにまで上昇。
チームでは控え選手というポジションだったにもかかわらず、オールスターではファン投票により先発出場を果たしました。スター街道まっしぐらです。
こうして、”エアボールパーティ”での屈辱を糧に、コービーはスーパースターへの階段をかけ上がっていったのでした。