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サメを研究?コービーが抱いたアイバーソンへの狂信的なライバル心

サムネイル画像:Keith Allison by CC PHOTO

見事、二つの背番号が永久欠番されたコービー。

永久欠番セレモニーでは、かつて時代を争った”The Answer”ことアレン・アイバーソンが出席したことも話題となりました。

熱い抱擁シーンにはグッとくるものがあります。

コービー×アイバーソンのライバル関係

現役時代、「ライバルはいるか?」との問いに対して一貫して「No」と答えていたコービー。

しかし引退した今になって、かつてアイバーソンに対して抱いていた狂信的なライバル心を露わにしています。

あの孤高の男にも、「ライバル意識」というものが存在したのです。そして、この二人の関係性はとてつもなく面白い。

史上最高のドラフト豊作年とも言われる1996年にNBA入りした二人は、今では全バスケファンが知るまぎれもないレジェンドです。

しかし二人のデビュー年の注目度には大きな差がありました。

アイバーソンが史上最低身長のドラフト1位選手となったのに対し、高卒のコービーは13位指名。

年齢の若さもあり、当時のコービーは即戦力として期待された存在ではなかったんですよね。

アイバーソンとコービーのデビュー戦を比較してみると、当時の格の違いが浮き彫りです。

アイバーソンデビュー戦

まだコーンロウではないアイバーソン。30得点6アシストの活躍でした。

デビュー戦でここまで魅せてくる。

代名詞であるクロスオーバーはNBA1試合目の時点で既に完成しています。

コービーデビュー戦

個人ハイライトが見つからなかったため、レイカーズのチームハイライト。

まず、目を凝らさないとコービーがいつ出ていたのかわかりません。

この試合でのコービーの出場時間は僅か6分です。FGは一本のみ打って外し、0得点。

これが、将来81得点する男のデビュー戦ですよ。

よくフリースローで初得点をするコービーの映像を見かけますが、あれはデビュー戦ではないんですよね。

1年目から誰もを魅了する選手であったアイバーソンに対し、コービーは出場すらままならないという状況。

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そんなコービーにとって、かつてのアイバーソンがどんな存在であったのか。

少し古いものですが、当時の心境を綴ったコービーのエッセイを和訳してみます。

タイトルは、

Obsession is Natural(強迫観念とは自然なものだ)”

1996年の11月2日、アレンアイバーソンはマディソンスクエアーガーデンでニックス相手に35得点を記録した。

同じ日、俺は5分間のプレー時間で2得点に終わった。

宿泊先のホテルでアイバーソンの35得点を知った時、俺は我を失った。

テーブルを吹き飛ばし、イスを投げ飛ばし、テレビを破壊した。

そして、”ハードワークを続けよう”と誓った。

5分間。

2得点。

よりハードな努力が必要だった。

そして、努力した。

1999年の3月19日、俺との直接対決で、アイバーソンは41得点10アシストを記録した。

 

俺の努力は、足りていなかったんだ。

俺は、この男についてマニアックなまでに研究しなくてはならなかった。

 

彼について書かれた記事や本を読み漁った。

彼の過去の試合をオールアメリカン(高校のオールスター)の時までさかのぼって見漁った。

彼のすべての成功と苦悩を研究し尽くした。

自分が見つけられる限り、彼の弱点を研究し尽くした。

アイバーソンについて知るため、あらゆることを調べ倒した。

最終的には、南アフリカ沿岸のホオジロザメがどのようにしてアザラシを仕留めるのかを学ぶにまで至った。

待つこと。タイミング。仕留める角度。

 

2000年2月20日、76ersの試合の後半に、アイバーソンとのマッチアップが命じられた。

この挑戦が俺にとってどんな意味があるのか、誰も知らなかった。

俺は、自分が感じたフラストレーションを彼にも味合わせてやりたかったんだ。

過去にアイバーソンにボロボロにされたことを笑った奴らを黙らせてやりたかった。

彼は、”俺を止められるヤツはいない”と言っていた。

そんなこと、受け入れられない。

俺は50得点。

お前は0得点。

それこそが、俺の信じるものだ。

彼は前半で16得点をしていた。

そして後半から俺がディフェンスし、彼は16得点で試合を終えた。

リベンジを果たした。

だが、この勝利には満足しなかった。

俺は、奴との初めての試合で与えられた感情にイライラしていた。

俺は誓った。

全てのマッチアップに、生死をかけて臨むことを。

俺をこんな気持ちにさせたヤツは、他にはいなかった。

俺は、ターゲットにする対戦相手を選ぶ。

俺は、お前の次のシーズンでの目標が、俺が20年間目指し続けた場所であるかどうかを見極める。

もしおまえが妥協をしないのなら、おまえは極楽の世界へ行けるだろう。

 

だが、もし妥協をするのなら….

俺はお前を、執拗なまでに狩りにいく。

当然のことさ。

原文:The playerstribune

 

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以上、コービー自らが語った本心でした。

コービーの常軌を逸した競争心を知るには十分すぎるメッセージです。

“最終的に、南アフリカ沿岸のホオジロザメがどのようにしてアザラシを仕留めるのかを学ぶにまで至った”とか、もはや笑うしかないw

 

このエピソードを知った上で冒頭の二人の抱擁シーンを見ると、また一つ深みのあるものに思えてきませんか?

これまでの直接対決も、違ったものにみえてくるはずです。

この競争心こそがコービーを偉大にした

まず、コービーがアイバーソンと同期であるということにとてつもない凄みを感じます。

アイバーソンは完全に過去のレジェンドというイメージですが、コービーはつい最近まで第一線でプレーしていたんです。

もちろん、高卒でNBA入りした分コービーの方が年齢が若いというのはあるし、どちらの方が素晴らしいキャリアだったと思うかは人それぞれですが。

とにかく、1年目の平均得点が一桁だったコービーが、デビュー当初からスーパースターであったアイバーソンと凌ぎあう存在になるまでには、途方もない努力があったに違いありません。

偉大になる男には、常人には理解できないほどの競争心が備わっているものなのでしょう。

これこそが、史上初の永久欠番二つを成し遂げた男の、“マンバメンタリティ”

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