知っている人からすれば、何をいまさらですが。
僕の経験上、マイケル・ジョーダンがブルズ以外のチームでプレーしていたことを知らない人って意外と多いんですよね。
「趣味はNBAを見ること!!」というような人でこれを知らない人はほとんどいないんでしょうけど、バスケをやっていて、なんとなーくNBAを知っている程度だと、そういう人も多いのかもしれない。
高校のバスケ部で、友達にジョーダンのウィザーズ時代の話をしようとしたらポカーンとした顔をされて、けっこうビックリしたのを覚えています。
もう、それぐらい知っておきなさい!教科書にも載っていたでしょう!!(載ってない)
そいつには、「え?!じゃあ、ジョーダンって選手生活を優勝で終われてないじゃん!!」と逆にビックリされて、「う、うん、そうだよ、」と答えるしかなかったですね。
この記事を読んでいただいている方の中にも、ウィザーズ時代のMJを知らなかった人が一人でもいればいいなあと思いつつ。
オーナーから選手へ
ブルズ引退後、ジョーダンはウィザーズのオーナーになりました。
当時のウィザーズは特に低迷していて、この状況を見かねたジョーダンは、選手としてウィザーズに復帰することにしたのです。
復帰した時点で、ジョーダンの年齢は38歳でした。コービーが37歳で引退したことを考えれば、これがどれだけ難しい挑戦かが分かりますね。
ザックリ言うと、
「俺がオーナーやってるチームが弱いわ」
「強くしたいから、選手として復帰してチームをプレーオフに導くわ」
という大胆な思考回路。
その発想はなかった。バスケの神様は考えることが違います。
ウィザーズ時代も、ジョーダンはそこそこジョーダンだった
ウィザーズに在籍していた期間は、2001-02と2002-03の2シーズン。
チームのプレーオフ出場が最大の目標でしたが、残念ながら2シーズンとも目標達成はなりませんでした。それでも、MJ個人の活躍は、当時の年齢を考えればかなりのエリート。
2シーズンのスタッツは、
21.2得点,5.9リバウンド,4.4アシスト,FG43.1%,1.5スティール
ちなみに、ブルズ時代の13シーズンのスタッツは、
31.5得点,6.3リバウンド,5.3アシスト,FG50.5%,2.5スティール
一番目につく衰えた数字は、シュート確率かな。
ジョーダンのキャリア全体でのシュート確率が49.7%となって5割をギリギリ下回ったのは、この2シーズンの低確率がデカかったです。
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それでも、1シーズン目には51得点、2シーズン目にはNBA記録となる40歳での40得点越え(43得点)を記録し、ジョーダンがジョーダンであることは忘れさせませんでした。
2002年:51得点試合
2003年:43得点試合
特にこの2試合に関しては、ジョーダンのユニフォームを赤色に変えてもそれほど違和感はなさそう。一つ一つの動きのシルエットがとにかく美しいです。
ラストシーズンでFG35.8%だったコービーもそうだけど、動きの綺麗さが抜群なだけに、ハイライト動画としてシュートが入っているところだけを切り取ってみれば、この当時でも超一流のプレイヤーに見えます。
この2シーズンの意味とは
NBAを知らなかった友達と同じようなことを言いますけど、正直僕も「ウィザーズ時代がなかったほうが、ジョーダンのキャリアは美しかったんじゃないか」と思ったりもしました。
安易ですけど、そりゃあウィニングショットを決めて優勝で終わった方が幕引きとしては綺麗です。
でも、ジョーダンがこの当時のNBAに復帰してよかったと思うことが一つあって、それは、新世代の選手達ともう一度対戦できたことかなあと。
ジョーダンがブルズにいたころはまだ未熟だった選手達が、2000年代前半にはリーグを代表するスターになっていて、最終対決でジョーダンに引導を渡すというストーリーにはグッとくるものがあります。
デビュー当時は雲の上の存在だったジョーダンを、最後に打ち負かすというのがなんとも。
ラストマッチ:コービー vs MJ
ラストマッチ: AI vs MJ
コービーは、この大一番でシーズンハイの55得点と大爆発。気合入りまくり。
アイバーソンとのラストマッチは、同時にジョーダンのNBAラストゲームでもありました。
しかし、ジョーダンについての記事を書いていることを忘れちゃうほどに、当時のアイバーソンのカッコよさは異常だわ。
ジョーダンがウィザーズでプレーしていなかったら、これらの試合は生まれていなかったわけですからね。
結論としては、ウィザーズ時代のジョーダンについても、知っておく価値があるよ!ということで。